法然院



 今までに何度か行ったことのある法然院。でも、残念なことに、紅葉の見頃な時期には訪れた
ことがないのです。この日も、例年だととっくに美しく色づいているはずが、まだまだ見頃には早
すぎて、写真もうまく撮れていません。少しだけですが、ご覧ください。いつか、綺麗な見頃の時
期に、見に行きたいものです。



 朝まで降り続いた雨もちゃんとあがってくれて、葉っぱ
 も参道も、しっとりとした雰囲気が漂い、ちょっぴりドラマ
 のヒロインになった気持ちに・・・?

しっかり赤く染まったところもあれば、まだまだ緑色のとこ
ろもあり、「ここが全部真っ赤なら、こんな感じ〜?」と、
想像しながら見ていました。

 皆さんこうして記念撮影をされるので、なかなか無人
 な状態にならず・・・。仕方ないので、この男性方にモ
 デルになって頂きました。


 この盛り砂は、季節ごとに模様が変わるそうです。こ
 の時期は、もちろん紅葉ですね!

入った時にはまだそんなに人が多くなかったのですが、
帰ろうとした頃には、ゾロゾロとたくさんの方が歩いておら
れました。これが見頃な時期になれば、どんな状態にな
るのでしょう?





法然院 鎌倉時代初期に、法然上人が弟子の安楽坊、住蓮坊と共に六時
礼賛(ろくじらいさん・・・一日に六回阿弥陀仏を讃えて抑揚をつけ
て唱えるお経)を唱え、念仏三昧の行を結んだのが、法然院のは
じまりと言われています。1206年(建永元)12月、後鳥羽上皇の
熊野臨幸の留守中に、院の女房松虫・鈴虫が安楽・住蓮を慕って
出家し上皇の逆鱗に触れる「建永の法難」という事件が生じ、法然
上人は讃岐国へ流罪、安楽・住蓮は死罪となりました。そして専修
念仏の弾圧となり、弟子の親鸞までもが越後に流されました。この
ため、主を失った草庵は荒廃してしまいました。その後、江戸時代
初期の延宝8(1608)年、知恩院第38世の萬無和尚が法然ゆかり
の地に念仏道場を建立することを発願し、弟子の忍澂上人によっ
て再興されたものが、現在の法然院だそうです。下から二番目の
写真に写っている盛り砂は、正確には白砂壇(びゃくさだん)と言っ
て、普段は水の流れを意味する文様が描かれていて、通って身を
清める意味があるそうです。本堂には恵心僧都作と伝わる阿弥陀
如来座像が安置され、その須弥壇 (しゅみだん)上には、仏の道
を説くと いう二十五菩薩を象徴する二十五の季節折々の生花が
散華されているらしいです。 また、作家、谷崎潤一郎、東洋史学
の 内藤湖南、哲学者の九鬼周造、経済学者の 河上肇などが眠
る地としても知られています。





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