鞍馬山
最寄駅から電車に乗れば終点が「鞍馬」なのにもかかわらず、まだ登ったことがありません でした。例年よりも紅葉の色づきが遅かったこの年の晴天の日、カメラを持って出かけました。 |
叡山電車の後部の窓から前方に、紅葉が・・・。 | これは、「きらら」というパノラマ電車で、窓が大きく、 天井に近い部分も、こんな風に斜めの窓となってい ます。 |
駅を出てすぐ目の中に飛び込んでくるのは、この立派な天狗! 天狗 にも階層があるらしく、この鞍馬山の天狗様は、「僧正坊」と呼ばれる 大天狗で、「総元締め」だそうです。 |
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上の天狗の面の前に並ぶお土産屋さんの前を過ぎると、この長い階 段が見えてきます。下から見上げると、ちょっとウンザリしますが、上 まで登りきった時の爽快感を期待して、、、 |
鞍馬寺の出入り口となる山門、仁王門の上 に掲げてある「鞍馬山」。 |
この日は晴天に恵まれ、鞍馬寺にお参りする人がたくさん歩いておられま した。 |
由岐神社は、鞍馬寺の鎮守社で、京都三大奇祭の一つで有名 な、「鞍馬の火祭」が行われる神社です。「由岐(ゆき)」というの は、「靫(ゆぎ)」のこと、つまり都を鎮守するために、戦いの時に 矢を入れて背負う「靫」をご神体にして祀ってあるそうです。 |
緑、黄色、橙、濃い茶色、、、様々な色が織り成すこの季節独特 の雅な世界ですね。 |
これだけ青空が広がると、紅葉の 色も映えます。 |
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本堂に奉られているのは、「尊天」 であるとされていて、「尊天」とは、 毘沙門天、千手観世音、護法魔王 尊の三身を一体として称したもの で、「すべての生命を生かし存在さ せる宇宙エネルギー」であるとされ ています。 |
東京にあった与謝野晶子の書斎「冬 伯亭」が移転されたもの。何代か前の 鞍馬寺の管長が、与謝野晶子の和歌 の弟子だったとか・・・? |
「大杉権現」は、千年近い樹齢を保ち、「護法 魔王尊影向(ようごう)の杉」として、多くの人々 の信仰を集めています。 |
土が固くて地下に張れない杉の根が、こんなに見事なアラベスク模 様を描いているそうです。ちょうどここを歩いていた男性が、「ガイド ブックに載ってたのが、これや!」と言ってました。牛若丸が、兵法の 稽古をした所だと言われています。よく足元を見て歩かないと、引っ かかって転びそうになります。 |
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これは、「木の根道」で、、、 |
ようやく鞍馬山から下りてきて、今度は 貴船神社へ。。。 |
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貴船神社は「水の神様」「えんむすび の神様」として信仰があります。 |
並んで建っているお料理屋さんのひとつの横に 流れている貴船川に飾られていたオブジェ風の 生け花。確か未生流だったような・・・? |
この年、忙しいと言いながら、結構紅葉を楽しめました。 |
色がいまいち、、、と言われてましたが、それなりに綺麗だと思います。 |
和泉式部が、夫の心変わりに悩み、貴 船にお参りをし、貴船川に飛ぶ蛍を見て 切ない心情を、「もの思へば沢の蛍もわ が身よりあくがれ出ずる魂かぞと見る」 と詠み、祈願したところ、願いが叶えられ 夫婦仲が円満に戻ったとか・・・?この歌 を詠んだのが、この蛍岩近辺の光景だと 言われ、蛍の名所となっています。 |
普段よく利用している叡山電車ですが、四季 それぞれの自然の移り変わりを味わいながら 走っているのだと、この日改めて感じました。 |
以前から、一度歩いてみたいと思っていた鞍馬から貴船の道。絶好の登山日和に恵まれ、日頃 の運動不足のせいか、大文字山登山と同じく、ちょっと疲れましたが、心地よい疲れ方でした。そ れにしても「木の根道」は結構ハードでした。いつも歩いて来たあとで、お寺などのことを調べて、 「へぇ〜、そうやったんや。」と納得してばかりなので、今度どこかへ行く時には、前もって知識を養 っておいてから、訪れるようにしないと・・・。それと、貴船に並んでいた川床料理屋さんへも、一度 行ってみたいです。 |
鞍馬寺 | 鞍馬寺の始まりは、宝亀元年(770年)に、鑑真の高弟である鑑 禎(がんてい)が草庵を作り、毘沙門天を安置したことによると言 われています。そしてその後、延暦15年(796年)に、造東寺長 官の藤原伊勢人が、貴布禰明神のお告げにより、王白鎮護の 道場として伽藍を造営し、千手観世音を祀ったとされています。 寛永年間(889〜898年)には峯延が入寺し真言宗の寺になり ましたが、天永年間(1110〜1113年)に天台座忠尋が入寺し 天台宗に復したそうです。そして、昭和22年(1947年)には鞍馬 弘教が立教され、総本山となり、現在に至っています。鞍馬山は 山岳信仰、山伏による密教も盛んで、山の精霊である天狗もま た鞍馬に住むと言われていて、鞍馬山は天狗にとって、最高位 の山のひとつとされているそうです。 |
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貴船神社 | 創建の年代は不詳で、社伝によれば、神武天皇の母である玉 依姫命が、淀川・鴨川・貴船川を遡って当地に上陸し、水神を祭 ったのに始まると伝えているそうです。水神である高淤加美神 (たかおかみのかみ)を祀り、古くから祈雨の神として信仰されて いました。また、縁結びの神としての信仰もあって、若いカップル や女性で賑わっている一方で、縁切りの神、呪咀神としても信仰 され丑の刻参りでも有名です。 |
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