流鏑馬
1年を通じて、何かと行事の多い京都。春に桜が咲き乱れた後は、「葵祭」の季節 となります。「流鏑馬」は、5月15日に行われる「葵祭」の道中の安全を願う、清めの 前儀です。中高生の頃の歴史の教科書に載っているのを覚えていて、以前から見 に行きたいと思っていたので、2008年5月3日、自転車を走らせ、出かけてきました。 |
毎朝サイの散歩中通る賀茂波爾神社 (通称「赤の宮神社」)の前に、この時 期、必ず貼られるポスターがあります。 サイ〜、見えるかぁ? |
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これが、そのポスターです。この年は、 でっかく「流鏑馬」が描かれていまし た。このポスターが目に入り、見に行 きたいという気持ちが高まりました。 |
神事が始まるのは1時だったのですが、色々調べてみると、写真をちゃんと撮れる場所 を確保するには、かなり早く必要があるということが、何人かの人のブログに書かれてい ました。といっても、極端に早く行くと、長いこと待たなければならないし・・・。でも、あとで 後悔しないように、結構早い目に家を出ました。 |
糺の森を流れる泉川。私はこのせせらぎが大好きです。木々の向こうでは、きっと準備 がなされているのだろうと期待しながら、自転車をこのそばに停めました。 |
前もって、「社頭の儀」が、本殿で執り行われるのですが、それを見ていると、肝心の 「走る馬」を撮る場所がなくなりそうなので、諦めて、即「場所取り」に向かいました。す でに私と同じ考えの方がたくさん陣取っておられたのにはびっくり・・・。 |
前に並んでいるのは有料席です。腰掛けて見ることが できるので楽そう。。。もう少しおばあさんになったら、 券を買って、しっかり座って見るかも〜。 |
馬が興奮してはいけないので、 アナウンスでも、何度も言って おられました。 |
すみません。。。ちょっと、私の 好みの男性だったので。。。(笑) |
馬場入りの儀で、下鴨神社が宮内庁 から譲り受けた馬車が初めて登場しま した。後ろに座っているのは、京都府 知事です。前の外国人の女性、すごく 綺麗な方でした。 |
馬にも葵の葉が・・・。目隠しのような物は、視 界を前方に向けようと、このようにしてあるの でしょうか? |
雅楽が演奏されると、一層雅な雰囲気に 包まれます。 |
この長官代、かなりの高齢に見えましたが、 下の写真の「騎射始め」を告げるお声は、 すごく力強かったです。 |
お名前は忘れましたが、懇切丁寧な 説明を、こうしてマイクを使ってされて いました。 |
馬が走り出す前に、コースのようなものを作る べく、こうして裏方さん(?)が杭を打ちつけて 準備されます。様々な人の力で、この神事が、 執り行われるんですね。 |
長官代 が「流鏑馬神事、始めます!」という騎射 始めの由を一の射手に告げ、 「おぉ!」と答えま す。 |
この一の射手、すごく端整なお顔立ち で、堂々としておられました。 |
長い時間待って、ようやく50センチ 四方の杉板の的が、100メートルの 間隔で3箇所取り付けられました。 |
それからも、こうして射手が馬場元(ス タート地点のようなもの)へ移動し終わ るまで、しばらく待ちます。 |
さぁ、やっと始まります。予定よりも大幅に遅れ、馬が走り出したのが2時半過ぎでした。 糺の森の真ん中にある、全長350メートルの馬場を、束帯姿や狩装束姿の小笠原流一 門の射手達が、疾走する馬上から、一の的・二の的・三の的と順番に目がけて矢を射る のです。射手が順々交代で、計20回行われます。 |
この一の射手から三人は、平安時代の公家風の束帯姿でした。 観客は全員大注目です。 |
一の射手が、馬場殿(馬場中央の、二 の的の前)で、神禄の帛(はく・・・たす きのようなもの)を授かるのですが、 これ、手を使わず、何か棒のような物 ですくうようにして取っていました。 |
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帛を無事、肩に掛けました。 | |
袂を広げ、拝舞するのも、下鴨神社 ならではのゆかしい流鏑馬の作法 だそうです。 |
これは、武家装束の射手です。 狙いを定めて・・・。 |
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残念! 外れてしまいました。 | |
砂埃が少ししか写っていません が、実際はもっと迫力が・・・。 |
もっと躍動感のある写真を撮りたかったのですが、まだカメラをしっかり使いきれない 私には、これが精一杯・・・。できれば、射手は止まっていて、周りの森が動いている ような写真が理想ですが、これだと逆です。まだまだ修行が足らん。。。 |
これは、見事に的中したかも・・・。射手の「イン、ヨー」の かけ声が、新緑の糺の森に勇ましく響きわたります。「イ ン、ヨー」とは、「陰陽」のことで、見事矢が的中すれば、 五穀は稔り、諸願は成就すると言い伝えられているそう です。矢が的中しなくても、杉板の的は、新しく取り替え られます。 |
普段、静寂に包まれた糺の森は、この日、勇ましい射手の凛とした姿から、 いつもとは違った雰囲気が漂い、矢が的中すると、途端に歓声があがり、張 り詰めた緊張が一気に和やかに解かれました。この森は、行事毎に、色々 な表情を見せるのだと、改めて感じました。 |
最後の射手が走り去り、終了 です。前年は悪天候で、少し 雨が降ったそうですが、今回 は、初めから終わりまで、初夏 らしい晴天に恵まれました。 |
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すべて終わってから、本殿へ お参りに向かわれる人達。右 のお兄さんは、パンフレットを 売っておられた方です。 |
停めておいた自転車のところへ戻る時、神事を 見終わった子供とカップルが、こうして泉川で、 涼を求めているのを見かけました。 |
以前、日記に書いたかもしれませんが、私は、この下鴨神社の、心休まる雰囲気が好 きです。伊勢神宮に次ぐ地位にあって、世界遺産にも指定されているこの神社へ、行こ うと思えばすぐに行けるということが、最近すごくありがたく感じます。ここで行われる祭 事で、まだ見たことがないものもあるので、機会があれば、見に行こうと思います。葵祭 に先駆けて行われる、もうひとつの神事、「禊の儀」は、この年上賀茂神社で行われまし たが、交代で行われるので、来年は下鴨神社・・・。是非見に行きたいと思います。 |
流鏑馬 | 流鏑馬の歴史は、「日本書紀」の中に「雄略天皇即位の年(457) に『騁射(うまゆみ)』をおこなった」とあり、また「続日本紀」には 「文武天皇2年(698)賀茂祭(葵祭)の日に民衆を集めて騎射を 禁ず」とあり、古くから行われていたことがわかります。つまりこれ は、葵祭の日の騎射に大勢の見物人が集まるため三度も禁止令 が出るほど有名だったということらしいです。そして、平安時代の 末期から鎌倉時代に武士の間で盛んに行われ、葵祭「路頭の儀」 が中絶した文亀2年(1502)中絶しますが、昭和48年、下鴨神社 式年遷宮の記念行事として「流鏑馬神事」と名称を改め、復活し ます。これを期に、「糺の森流鏑馬神事等保存会」が結成され、騎 射の伝統を受け継いだ公卿の流鏑馬が保存・伝承されています。 武家風の流鏑馬が多い中、この下鴨神社で行われる流鏑馬は、 射手や的持、弓持の衣装の中に、雅やかな公家風の装束姿も現 れるので、勇壮な中にもどこか典麗な雰囲気が漂うものというこ とで、たくさんの見物客が集まる神事です。 |
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