金閣寺


生まれて初めて見た金閣寺は、雪に包まれた、幻想的なものでした。



総門をくぐってすぐに目に入る、鐘樓です。 絵葉書風に撮ってみました。前の「鏡湖池」は、凍っ
ていました。
「葦原島」です。クロマツの深緑と周りの石組みが、
金閣舎利殿の金色を一層あざやかに引き立てて
います。
極楽を飛ぶという鳳凰が、羽ばたく仕草でとまって
います。


西園寺家時代の名残とされる、「安民沢(あんみんた
く)」という池です。
反対側からも撮ってみました。松の木と、不思議
に合う気がします。


少し離れているところから。。。
西園寺家の守り神といわれる「白蛇の塚」です。
右上の場所から、さらに近づいて。。。雪の日に来
てよかったと思いました。
「龍門瀧」の横に、、鯉が滝を登ると龍になるという
中国の故事「登竜門」に因んだ「鯉魚石」が置かれ
ています。
安民沢の東側の小高い場所にある茶室「夕佳亭
(せっかてい)」。金森宗和(1584-1656)が造営した
と伝えられています。この名前は、「夕日に映える
金閣が佳い」ということに由来しているそうです。
夕佳亭の東南側に、この不動堂があり、岩窟の中
に弘法大師の作と伝えられる本尊の石不動明王が
安置されています。


左端には、「鹿苑寺」と書いてあります。
不動堂をあとにし、出口を出て降りた石段を下から
見上げて。。。



   なんと、これが入場料を買う時
          渡される券(お札?)です。


金閣寺 この地は、鎌倉時代に西園寺公経(さいおんじきんつね)の別荘北山第があったの
ですが、足利義満が大変気に入り、1397年(応永4年)に西園寺家から譲り受け、
山荘北山殿を造りました。庭園や建築は、極楽浄土をこの世に現したと言われ、後
小松天皇を招いたり、中国(明)との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した所で、
この時代の文化を、北山文化と言います。義満の死後、遺言通り夢窓国師を開山
(初代の住職)とし義満の法号鹿苑院殿から二字をとり、「鹿苑寺」と名づけられまし
た。お釈迦様の骨をまつった舎利殿「金閣」が有名なため、金閣寺と呼ばれていま
すが、この「鹿苑寺」と言うのが正しいそうです。臨済宗相国寺派の禅寺です。



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