下鴨神社(御蔭祭)
葵祭の3日前の5月12日、下鴨神社の近くを通った時、ちょうど「東游」(あづまあそび) が始まるところでした。日差しも少し薄らいだ午後の4時頃、糺の森の新緑に包まれ、厳 かな雰囲気の下、雅楽の演奏に合わせて、古式ゆかしき舞が奉納されました。 |
御蔭神社で神事を終え、巡行して来たこの白 馬は、舞が始まる前に、連れられ帰って行き ました。 |
この2頭の馬も、白馬のあと、連れて行か れました。巡行お疲れ様〜。 |
舞が始まりました。気がつくと、周りにはたくさんの 見物客が集まっていました。 |
装束のたもとを広げると、途端に雅な雰囲気が増し ます。 |
朱色がとても鮮やかです。このように広がる瞬間、 周りのカメラのフラッシュが光ります。 |
烏帽子につけてあるのは、葵の葉です。 |
撮影場所を移動しました。神馬(しんめ)は、幕から 顔だけ出されています。 |
左は鉦、右は太鼓です。返されるところです。 |
神馬も姿を現しました。 |
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残念ながら写せなかったのですが、琴もこの右側に 置かれていました。 |
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終わって、私達見物客の前を退座していきます。 |
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神霊をのせたこの神馬、実に42年ぶりに行列に 復活したそうです。 |
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思わず「お疲れ様。」と声をかけたくなりました。 |
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↑の上の部分です。この角度からではわかりにくい ですが、結構翼を大きく広げています。 |
番外です。これは近所にある赤ノ宮 神社(下鴨神社の摂社)のお祭りで 担がれていた子供の御神輿です。 |
下鴨神社 | 正式名を「賀茂御祖神社」(かもみおやじんじゃ)と言います。御手洗川 と泉川の間に参道があり、周りは糺の森(ただすのもり)という平安時代 以前からの原生林で覆われています。崇神天皇の2年(BC2)に神社 の瑞垣の修造が行われたという記録があるそうですが、それ以前から 祀られたと思われているらしいです。6〜7世紀には豪族秦氏の氏神と して祀られ、平安京が造られた後は、平安京の鬼門を護る神社として、 手厚い加護を受けるようになりました。伊勢神宮に行く斎王が清めの儀 式をすることもあり、伊勢神宮に次ぐ地位にあります。上賀茂神社に祀 られている「別雷神」(わけいかづち)の母「玉依姫命」(たまよりひめの みこと)とその父「賀茂建角身命」(かもたけつねのみこと)が祀られて います。世界文化遺産であることは、言うまでもありません。 |
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御蔭祭 | 葵祭を前に、比叡山のふもとの御蔭神社から荒魂を迎える祭礼。下鴨 神社と御蔭神社を往復する巡行は、国内最古の神幸列と伝えられ、 1992年から徒歩と馬での巡行が一部復活しました。狩衣姿の神職ら 約100人の行列が午前9時に下鴨神社を出発し、御蔭神社で神事を 行ったあと、下鴨中通北大路から下鴨神社までの約1キロを練り歩き ました。上に書いたように、神馬が復活したのですが、それとともに、馬 を飾る唐鞍も同じく42年ぶりに復活しました。黒漆や金箔、螺鈿(らでん) を施した飾りが馬の体を彩って、きらびやかな平安絵巻が再現されまし た。下鴨神社の糺の森(ただすのもり)は、雅楽の歌や舞を奉納される 「東游」(あづまあそび)で、典雅な雰囲気に包まれます。 |
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